◆SilentCabinの経緯
この建物は1998年に辻野建設工業株式会社が施工した建築家、平尾稔幸さん自らの設計による別荘。
(社)日本建築家協会北海道支部住宅部会「ハルニレ賞」を受賞しています。
2024年夏、特徴的な姿はそのままに修復され、同年11月1日に世界中の人から親しまれるようにローマ字表記で「Silent Cabin」と名を改め、簡易宿所として再出発を果たしました。
◆中小屋の歴史
名前の由来と開拓の始まり
「中小屋」という地名は、明治時代にさかのぼります。月形町にあった樺戸集治監の囚人を使役して、当別と月形を結ぶ道路を開削した際、その中間地点に休憩や作業のための小屋が建てられたことに由来すると言われています。
この地域への本格的な入植は明治時代に進み、厳しい自然環境の中で農地を切り開いていきました。
札沼線の開通と地域の発展
中小屋地区にとって大きな転機となったのが、1935年(昭和10年)の国鉄札沼線(現在のJR学園都市線)の開通です。この時に中小屋駅と本中小屋駅が開業し、地域は交通の要衝として大きく発展しました。
鉄道の開通により、木材や農産物の輸送が盛んになり、人々や物資の往来が活発化。駅周辺には小市街地が形成され、商店や公共施設が立ち並びました。地域には中小屋小学校や中学校も設立され、多くの子どもたちが学び、地域コミュニティの中心となっていました。また、中小屋温泉は古くから親しまれた湯治場でした。
時代の変化と現在
昭和後期から平成にかけて、日本のエネルギー革命や産業構造の変化に伴い、地域の主産業であった林業は次第に衰退します。これに並行して、人口の都市部への流出が始まり、過疎化と高齢化が進行しました。
地域の心の拠り所であった学校も、児童・生徒数の減少により、中小屋中学校が2005年(平成17年)に、中小屋小学校が2006年(平成18年)にそれぞれ閉校となりました。
そして、地域の発展を支え続けた札沼線も、利用者の減少を理由に、2020年(令和2年)5月7日、北海道医療大学駅〜新十津川駅間が廃止。これにより、中小屋駅と本中小屋駅はその役目を終えました。長年親しまれた中小屋温泉も、施設の老朽化などにより2024年に廃業しました。
現在の中小屋地区は、往時の賑わいこそ失われましたが、豊かな自然に囲まれた静かな農村地域として、その歴史を刻んでいます。開拓から始まり、鉄道と共に栄え、そして時代の移り変わりと共に静けさを取り戻した、当別町の歴史を物語る上で欠かせない地域の一つです。